はじめまして、楢﨑涼です。

当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます。

私の名前は楢﨑 涼(ならさきすず)です。現役の女子プロ野球選手です。

この記事では、私の自己紹介、主に私の野球歴について書いていきたいと思います。

野球との出会い

私は大阪の阪神タイガースファンの家庭に生まれ、テレビで毎日阪神の試合中継を見て育ちました。小学生のころはファンクラブにも入っていて、甲子園にも連れて行ってもらい、応援歌もほぼ全て覚えて大声で歌っていました。そんな環境だったので、小さい頃から野球が身近にありました。

6歳くらいの頃。ラッキーセブンで風船を飛ばすのが好きでした

小学2年生の冬、地元の軟式チームに入団しました。自分から「野球チームに入りたい」と両親に言ったことを覚えています。チームには当時他に女の子はいませんでしたが、温かく受け入れてくださり、私もあまり気にすることなく野球を楽しんでいました。

野球を始めて最初のポジションはたしかレフトだったと思います。それからセンター、ピッチャー、サード、ファーストと色々なポジションを経験させてもらいました。小学3年生のある練習の日、監督からの「次キャッチャーしてみたい人?」の声かけに「はい!」と立候補。2塁送球がしてみたくて、手を挙げたのですが、なんと始めたその日に盗塁をアウトにしてしまい、楽しい!と続けることになりました(笑)。

全てが楽しくてどんどん野球にのめり込んでいきました。野球がある週末が楽しみで、日曜日が終われば早く土曜日にならないかなといつも思っていました。平日は自主練で素振りやランニングも頑張っていました。野球のアニメや漫画も大好きでよく見ていましたし、プロ野球選手の本も読んだりしていて、野球漬けの日々でした。

野球を始めてすぐの頃。市内大会でプラカードを持たせてもらった際に、記念メダルももらいました

5年生からは、大阪府の女子選手の選抜チーム「大阪ベストガールズ」に選んでいただきました。近畿の他の地域にも女子チームがあり、夏には近畿大会がありました。近畿大会では5年生の時も6年生の時も優勝できて最高でした!

6年生では、キャプテンをさせてもらったのですが、この時チームは3連覇が期待されていて、けっこうプレッシャーに感じていました(笑)。決勝戦では、逆転のチャンスで見逃し三振。悔しくて泣いてしまいました。でもその後に味方がランナーを返してくれて勝つことができ、すごく感動してまた泣いたことを覚えています。

みんな野球が上手くて「自分も負けてられない!」と良い刺激をもらいましたし、学校外の女の子の友だちが増えたのが嬉しかったですね。

大阪ベストガールズでの練習試合
近畿大会にて

6年生の時、オリックスバファローズジュニアに選んでいただきました。

ジュニアチームは、大阪・兵庫を中心に近畿からセレクションを突破した選手で構成されます。今まで見たことのない速さのボールを投げる選手や、大人ぐらい大きい選手もいて、びっくりしたことを覚えています。ちなみにですが、この時のチームメートから3人(私を除く)がプロ野球選手になっていて、本当にすごい選手と野球させてもらえていたんだなと改めて感じました。

年末に札幌ドームで開催された「NPB 12球団ジュニアトーナメント ENEOS CUP 2011」に出場し、結果は2引き分けで予選リーグ敗退となりましたが、憧れのプロ野球選手と同じユニフォームを着て、同じ球場でプレーするという貴重な経験をすることができました。約3ヶ月間のチームでしたが、みんなで勝利を目指した瞬間はかけがえのない時間でした。

札幌ドームにて
女子バッテリーを組みました

中学生

中学に上がる際、学校の部活動に入るかクラブチームに入るか悩みましたが、高校で硬式野球部に入りたかったこともあり、硬式野球ができるクラブチームに入団を決めました。女子チームがなかったのでここでも男の子に混じってプレーしました。

中学ではたくさん怪我をしました。膝、腰、目、指、ほぼ全身ですね(笑)

目にボールが当たって骨が折れた時は、手術もしました。それでもボールが怖くなったりはせず、野球は好きなままでした。

入団してすぐ、所属していたリーグの女子選手を集めた「関西女子」というチームがあることを知り、女子チームにも参加させてもらいました。月1回くらいの頻度で集まり、練習や1年生大会に出場しました。このチームは女子選手が活躍できる環境を作ってくれました。

中学生は、体の成長が進み、男女の差がはっきりと現れてくる時期になります。最初は体の大きさや力の差で負けることを想像もしていなかったのですが、だんだんと背を抜かされたり、足の速さで負けるようになったり、打順が下がっていったりと悔しい思いをすることが多くなっていきました。

女子チームと自チームに参加することには色々な考えがあると思いますが、私は両方に参加させてもらえて良かったなと思っています。試合出場の機会があるといったプレー面に限らず、女子野球仲間ができたり、進学先の情報が入ってきたりとコミュニティがあることに大きな意義があったんじゃないかなと。今はとても感謝しています。

高校生

京都外大西高等学校女子野球部に入部し、親元を離れての寮生活が始まりました。

全国制覇を目標に、毎日必死に練習していました。最初は毎日野球することが体力的にしんどかった記憶があります。それでも毎日好きな野球ができることが楽しくて幸せな環境でした。

高校生活はたくさん思い出がありますが、自分自身が未熟すぎて恥ずかしい思い出ばかりです(笑)

本当に多くのことを学んだ3年間だったと思いますし、たくさん失敗して良かったのかもなと今になって思います。

肝心の野球は、3年生最後の夏の大会でベスト8でした。サヨナラ負けで私の高校野球は幕を閉じました。

大学生〜現在

女子野球部のない中央大学に進学し、侍という女子硬式野球のクラブチームで野球を続けました。大学の近くで一人暮らしをしていたのですが、チームのグラウンドまでは片道約2時間かかりました。チームは土日祝だけの活動で、高校で毎日練習をしていたのでどこか物足りなく感じていた時に、大学の女子ソフトボール部に誘ってもらい、平日はソフト部で練習させてもらいました。授業を受けて、バイトもして、野球にソフト、充実しすぎて目が回っていましたね(笑)

東京2部のリーグ戦にて
クラブチーム侍にて

大学2年生の冬、この年に発足したNPB球団初の女子チームである、埼玉西武ライオンズ・レディースのセレクションに合格し、1期生として入団しました。ユニフォームが届き、初めて袖を通した時はとても感動したと同時に、恥ずかしくないプレーをしなくては!と思いました。

ライオンズで3年間プレーした後、岡山県の瀬戸内ブルーシャインズに移籍しました。大学の後半くらいからスポーツビジネスや、女子野球のこれからについて興味が湧いて、当時は特に地域密着型の運営に関心があったことも移籍を決めた理由の一つでした。

クラブ選手権にて

2024年末、インスタグラムで「WPBL(アメリカ女子プロ野球リーグ)発足」のニュースが目に飛び込んできました。大学在学中に日本女子プロ野球リーグは事実上消滅していて、プロ野球選手の道はもうないんだなと思っていたので、このチャンスを逃したくないと思いました。とはいっても、アメリカには行ったことがありませんでしたし、英語も話せないので決断までには時間がかかりました。

2025年夏にワシントンD.C.で開催されたトライアウトに参加し、11月のドラフト会議にてロサンゼルスより指名いただきました。

トライアウト最終日はワシントン・ナショナルズの本拠地で行われました。

そして2026年8月、WPBLが開幕しました。ビザトラブルもあり、デビューまでの道のりも一筋縄ではありませんでしたが、アメリカの地でプロ野球選手としてデビューすることができました。

8月22日にNYへトレード。

レギュラーシーズンを2位で終えました。

ポストシーズンセミファイナルでは、古巣のLAとファイナルを賭けて戦いましたが、1勝2敗で敗退し、私のプロ野球選手としての初めてのシーズンが終了しました。

セミファイナル最終戦直後チームメイトと

WPBLに挑戦したこと、実際にアメリカで約2ヶ月間過ごした中で、感じたことや考えたことは本当にたくさんあります。女子野球がもっとメジャーになっていく可能性を目にすることができましたし、自分自身もっと頑張らないといけないなと背中を押されました。プロ野球選手という夢が叶ったこのシーズンは何にも代えがたい時間でした。

一方で前もって情報があれば…と思ったこともたくさんありました。帰国してからは、同じ思いをする選手が減るように、何か力になれることはないかと考えるようになりました。その中で頭に浮かんだものに、このサイトがあります。ブログも書いていこうと思っていて、アメリカでの経験や準備して役に立ったことなどを発信していければなと思っています。

私の新しいチャレンジを一緒に面白がっていただけたら何より嬉しいです!

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